ルカ19章11〜27節

「あなたの1ミナ」

 

 “ミナのたとえ”と言われる話である。ある主人が旅に出る前に、しもべに1ミナずつ預けて商売させる。1ミナは約100日分の労賃である。しばらくして、主人は王位を受けて帰ってくる。そして、預けておいた1ミナを精算する。

 

 この話に出てくる主人とは主イエスのことであり、しもべは私たちである。主イエスは十字架と復活、昇天を通して王の王となられ、地上に戻って来られる(再臨)。その時、私たちは主イエスの前に立ち、自分が預かった1ミナを精算する(最後の審判)。

 

 私たちが主イエスから預かっている1ミナとは、何なのか。そして、1ミナで商売するとはどうすることなのか。

 

 1ミナとは、主イエスが教会に託してくださったものである。非常に豊かな内容なのですべてを列挙できないが、ここでは「福音」「信仰」「救い」「神の国」としておく。私たちは、これらのもので商売(お金儲け)をするわけではない。主イエスは、預けた1ミナを増やすことを願っておられる。たとえば私たちが礼拝で「福音」を熱心に聴く。小さな「信仰」を活用して、自分の支えにする。教会として「救い」を伝え、洗礼者が起こされる。様々な働きを通して「神の国」が広がり、人々が主イエスの恵みを味わうようになる。…このように、私たちが預かっている1ミナは、私の内面から私の生活へ、私から誰かに、教会を通して世界に、神の国として増やし・広げることができる。

 

 たとえ話の中に、1ミナをそのまま返したしもべがいた。彼は1ミナを“もらっていない”かのように扱い、主人に心を閉ざし、ずさんな管理をした。私たちはこのしもべの様に、救いや信仰などを活用せずにしまい込んでしまわぬように気をつけたい。

 

 反対に、10ミナと5ミナを儲けたしもべは、「あなたの1ミナで、○ミナ儲けました」と言った。自分の働きを自慢せず、“あなたが1ミナ預けてくださったおかげです”と言わんばかりである。私たちは主イエスの前に立つ時、“あなたがくださった信仰に、こんなに支えられて生きることができました”と、感謝を込めて「これがあなたの1ミナです」と言えるよう、日々励みたい。