クリスマス礼拝

ルカ22535「シメオンの希望」

 

 

29,30節「主よ、今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目が、あなたの御救いを見たからです。」


 

 ある日、シメオンが神殿に入ると、ちょうど幼子イエスを連れた両親が礼拝をしていました。シメオンは聖霊の働きによって、その幼子が救い主キリストであるとわかります。シメオンは幼子を腕に抱きます。それはシメオンにとって、救い主の到来を意味していました。シメオンは感激して、「これで安心して死ぬことができます」と神への感謝をささげます。

 自分の死を前にして「安心です、感謝です」と言うことができるとは、何という幸せでしょうか。シメオンにも不安な事や心配事があったでしょう。しかしシメオンは、神が救い主を送ってくださったことで安心して、神に感謝しました。それは、シメオンが「どうしても必要なもの」である、救い主イエス様をいただいたからです。

 私たちは、自分に「ないもの」「足りないもの」を数えて不安になることが多いのではないでしょうか。しかしイエス様は、神の御子であるのに「神のあり方を捨て」(ピリピ2:6)、私たちが抱える様々な貧しさの中に来て下さいました。それは私たちの隣人となって、私たちを救うためです。救い主イエス・キリストが共にいてくだされば、大丈夫です。このお方こそ、シメオンの希望であり、「どうしても必要なもの」です。心を開いて神の贈り物であるイエス様を受け取らせていただきましょう。