ルカの福音書21章37,38節

「主イエスの昼と夜」

小林和夫師

 

 主イエスの受難週を物語る言葉である。

 主イエスは昼、宮で教えられた。民衆は、朝早く起きて宮にいる主イエスのもとに集まってきた。主イエスは喜んで彼らを迎えた。時には食事をする間もないほど、主イエスは寸暇を惜しんで父なる神を説き明かされた。その決意は「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間にしなければなりません」(ヨハネ9:4)という言葉に見られる通りである。

 昼、主イエスは、どんな人も拒むことなく御元に招かれた。そこには、いつくしみ深いみことばのもてなしがあった。主イエスのみことばは、人々を慰め労り、傷ついた心身を癒し、平安を与え、希望の光を抱かせた。

 夜、主イエスは、エルサレム郊外にあるオリーブ山で過ごされた。これは野宿をされたということである。エルサレムに宿がなかったわけではない。しかし主イエスは、父なる神と向き合い、壮絶な祈りをささげるためにオリーブ山へ行かれた。主イエスは祈りながら、汗がしずくのように滴り落ちた。自分の願いよりも、父なる神の御心を優先しようとする祈りは、苦悩に満ちていた。

 主イエスは、昼は語り続け、夜は打ち捨てられた者のようにオリーブの根株を枕にして身を横たえた。そんな主イエスがついに“枕するところ”を見出すのは、十字架の上においてであった。主イエスは十字架で「完了した」と言われ、「頭をたれて(=頭を枕において)、霊をお渡しになった」(ヨハ19:

30)。このように徹底的に捨てられた主イエスを、いつも思う(Remember Jesus)者であろう。

 

「イエスは、昼は宮で教え、夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた。民衆はみな朝早く起きて、教えを聞こうとして宮におられるイエスのもとに集まって来た。」(37,38)