ルカの福音書22章14〜30節

「誰が一番偉いのか」

 

 イスラエル建国を祝う過越(すぎこし)の食事の席であった。すべてをご存知の主イエスは、「わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります」と言われた(21)。その場の空気は凍りついた。弟子たちは“そんな企てをする者は誰なのか”と驚いたものの、少しするとあっさりと話題を変えてしまう。その話題は「弟子の中で誰が一番偉いのか」。

 主イエスは生涯の一大事に直面している。しかしそんな主イエスに心を寄せることなく、自分たちの中で誰が一番かという自己中心的な話題で盛り上がってしまう。自分のことしか考えていない、人間の本性が暴かれている。

 弟子たちも私たちも、世俗の価値観で人間の偉大さを測ろうとする。その価値観を吟味することなく受け入れ、それで互いの間に序列を設けようとする。

 ここで問われなければならないのは、「誰が一番偉いか」ではなく「本当の偉大さとは何であるか」ということである。誰でも、人に仕えるより、人に仕えてもらうことを求める。しかし主イエスは弟子たちの足を洗われて(ヨハネ13)、真の偉大さとは人に仕えることであると示された。そればかりか、主イエスは十字架でいのちを投げ出して贖いの業を成し遂げ、私たちに仕えてくださった。こうして私たちを罪と死から救い、私たちに仕えることを教えてくださった。

 この世の価値観に押し流される私たちである故、“真の偉大さ”について絶えず吟味しなければならない。キリスト者には他者に仕えて役立つ責任が、神様から任せられている。

 

「わたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。」(27)