使徒20章28〜32節

「父と子と聖霊の教会 〜主ここに在す〜」

創立50周年記念礼拝(小林和夫師)

 

 「聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」(28節・新共同訳)ここには、三位一体の神が見事な調和で描写されている。教会は神の教会であり、御子イエス・キリストの教会であり、また助け主・聖霊の教会である。

 「聖臨在」(主ここにいます)、これは教会の生命である。健やかな時も病む時も、得意の絶頂にある時も失意のどん底にあえぐ時も、主がいつも私と共にいてくださる。その聖臨在こそ、キリスト者の慰めであり教会の慰めである。霞ヶ関キリスト教会の聖徒の交わりも、聖臨在によって生かされてきた。これまでの50年、主はここにいてくださった。これからも、主はここにおられると宣教の声を上げつつ、実証していく責任がある。

 教会は、神に呼び出された者の集まりである。それ故、いかなる社会的身分にも束縛されない。キリスト者は「神の教会」という言葉に、神に結ばれている喜びと誇りを発見した。世の組織は数を誇り・力に頼るが、教会の権威は神の臨在にある。

 私たちは、御子の血に贖われた教会の真価を正しく受けとめているだろうか。私たちの神は「そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛され」た。それは「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」(ヨハネ3:16ためであった。アメージング・グレース。神は御子の命という代価を惜しまず、教会を御自分のものとされた。

 神の教会は、聖霊とみことばの力に導かれ保持されている。しかし危惧することがある。教会は広がり大きくなったが、そこに主イエスはおられるだろうか。私たちは「聖臨在・主が共にいます」と、幼子のように信じているだろうか。

 聖霊の導きは、真理のみことばに基づいてなされる。聖霊をあがめ、みことばを尊んでいただきたい。世は移り変わるが「ヤーウェ・シャーマー(主はここにおられる)」。ハレルヤ。