使徒22章1〜16節

「神の光に照らされて」

 

 パウロは群衆から暴行を受ける。これがエルサレム中を巻き込む大騒動となり、パウロはローマ軍に保護される。弁明の機会を得て、パウロは自分を暴行した群衆に対し、自分がイエス・キリストを信じた経緯を証しした。

 

 パウロはユダヤ人の家庭に生まれ、エルサレムで律法学者ガマリエルのもと律法を学んだ。律法の豊かな知識を身に着け、猛烈な熱意をもって律法を実践した。その熱心さは、キリスト者への迫害となった。パウロは男性も女性も関係なく牢に入れ、ある者は死に至らせた。迫害は正義であり、神への忠誠と奉仕だと信じて疑わなかった。周囲の人もパウロ本人も、パウロがユダヤ教を捨ててキリスト者になるとは微塵も思わなかった。

 

 パウロはキリスト者を迫害するため、ダマスコに向かった。その途上、「天からまばゆい光」がパウロを照らした(6)。パウロの全身が、“その光の向こうにおられるのは神的なお方である”と告げていた。神は言われた。「なぜ、わたしを迫害するのか。」パウロは戸惑った。神を迫害した覚えはない。「主よ。あなたはどなたですか」と尋ねた。声の主は答えた。「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。」衝撃の答えに、パウロは撃ち抜かれた。この言葉は3つの事実をパウロに突きつけた。

 

 ①主イエスが復活したという事実:主イエスご自身が「わたしだ」と語るのを聞いてしまった以上、ナザレのイエスが復活したことは否定できない事実となった。

 ②パウロの過ち:パウロはキリスト者を迫害するのは正義であり、神への奉仕だと思っていた。しかし自分が間違えていた事実を知らされた。イエスこそ救い主であった。

 ③神の力:パウロは神の力によって、自分のすべてを覆された。豊かな知識も、完全な論理武装も、献身的な熱心さも、神の力の前には無力であった。

 

 主イエスにとって、救うことのできない人は一人もいない。主イエスは、それぞれの人生の途上において、それぞれに相応しい仕方で、神の光に照らされる機会を備えてくださる。そして主イエスとの出会いが与えられ、救いを受け取らせてくださる。