使徒の働き9章1〜22節

「あなたが迫害しているイエス」

 

 パウロは回心する前、サウロとして知られていた。サウロはパリサイ人として律法を守り、神様を愛して生きてきた。サウロは神様への忠誠心から、教会を迫害した。ナザレのイエスを救い主と信じる者たちに我慢できなかったのである。サウロは神への奉仕として、「教会を荒らし、家々に入って男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」(8:3)

 サウロはさらに多くのキリスト者を捕らえるため、祭司長たちから権限を受けてダマスコに向かった。ダマスコの近くに来た時、突然、天からの光がサウロを照らした。そして「なぜわたしを迫害するのか」という声を聴く。サウロが「どなたですか」と尋ねると、「あなたが迫害しているイエスである」との返事があった。この声によって、サウロはこれまでの聖書の読み方を180度変えられてしまった。“ナザレのイエスは救い主である”という結論に向けて、聖書が再構築され、人生が新しくされた。サウロは主イエスに出会い、主イエスを信じた。

 『使徒の働き』が執筆された時代、教会は迫害の中にあった。キリスト者は少数派であって力は乏しく、人々から誤解され・憎まれ・危険にさらされていた。神様を疑ったり、信仰を手放すことが頭をよぎった。そのような状況において、サウロの回心はキリスト者に勇気を与えた。神様はその偉大な力によって、迫害の急先鋒であったサウロを回心に導かれた。それは、迫害の最中においても神様が生きて働いてくださることのしるしであった。

 人は苦しみが重なると、「なぜなのか?」と考えてしまう。しかし、どんなに考えても心が晴れるような答えは見当たらない。迫害においても、「なぜ」の答えはわからない。しかし神様は、パウロの回心の奇跡を示される。その苦しみにおいても神様はおられるのだから、神様にすがって今日を生きるようにと語りかける。

 主イエスは「なぜ“わたしを”迫害するのか」とおっしゃった。その苦しみにおいて、主イエスは共に苦しんでいてくださる。

 

「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」4

「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(5)