出エジプト記33章1〜23節

「神の友モーセ」

 

 モーセがシナイ山に登って行ってから40日が過ぎた。民は待ち疲れ、ついにモーセはいなくなったと判断した。そしてアロンに詰め寄り、金の子牛を「主」として礼拝した。山から降りたモーセは激しく怒るが、民の罪を詫びて祈った。

 しかし神様はモーセに「わたしは、あなたがたのうちにあっては上らない」と言われた(3)。神様は民と共に行くことを拒絶しておられるのである。これは私たちにとって、非常に厳しい神様の言葉である。

 今日の教会で、金の子牛を作ってそれを礼拝しようとする者はいないだろう。しかしどうだろうか。神様を信じることが退屈になり、それでも神様の祝福を待ちきれなくなる時、心の慰めを求めて“神様の代替え品”を慕うということがないだろうか。片手で神様の約束を握りつつ、別の手で世のものを慕い求めてしまう。私たちは意外に簡単に、金の子牛を作ってしまう者たちなのではないだろうか。

 モーセは熱心に民のために祈った。モーセは、イスラエルの民は“あなたの民”なのですから、「あなたが私たちといっしょにおいでになって」くださいと願う(16)。主はモーセの願いを聞いてくださった。

 私たちのためには、イエス・キリストが天で祈り続けていてくださる(ローマ8:34)。その祈りに支えられて、主が私たちと共に歩んでくださるのである。私たちはその恵みに応えて、神様の眼差しの中を歩もう。モーセが「神の友」と呼ばれたように、神様と親しく生きていこう。

 

「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。」(11