ヨハネの福音書 9章1〜7節

「輪廻転生の正しい教え」

赤江弘之師(西大寺キリスト教会 牧師)

 

 今日、若い人々の間で、漫画やテレビやゲームなどを通して輪廻転生の考えが深く浸透している。そこでは、輪廻転生が“もう一度、人生をやり直すきっかけ”として語られる。自分の人生をリセットしたい、自分が生まれ変わって違う人間になりたいという変身願望として輪廻が捉えられている。

 

 しかし本来の仏教の教えでは、輪廻は忌み嫌われるものであった。人は生まれて生老病死を始めとする苦しみの中をさまよっていくと言われ、そのような苦しみから救われるために修行をして輪廻のない世界(浄土)に行くことが救いとして説かれた。

 

 旧約聖書にヨブ記がある。ヨブは神を畏れ敬う人であったが、10人の子どもたちを同時に失うという試練を経験する。その苦悩は筆舌に尽くしがたいものであった。ヨブを見舞いに来た3人の友人は、“ヨブが悪いことをしたために、このような不幸な目に遭った”と考えた。これは因果応報の考えである。しかしヨブは「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならない」と語って(ヨブ2:10)、神を恨むことをしなかった。神もヨブの正しさを始めから認めておられた(ヨブ1:8)。このような仕方で、ヨブ記は因果応報の教えを否定している。

 

 主イエスも因果応報の考えを否定しておられる。生まれつき目の見えない人に出会った時、主イエスの弟子が“彼がこうなったのは誰かが罪を犯したからか?”と尋ねたが、主イエスはハッキリと“この人の罪でもなく、この人の両親でもない。神のわざが現れるためだ”と言われた。そして主イエスは彼の目を見えるようにしたばかりか、彼に信仰を与えて主イエスを信じるようにされた。

 

 主イエスは「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です」と言われた(マタイ22:32)。ここには、“親の罪を子が引き受ける”という因果応報的な発想は無い。神は私たちを天の御国に迎えてくださる時、地上における様々な苦しみを断ち切って、神の家族という新しい関係に迎え入れてくださる。この約束を信じて、永遠を選び取っていただきたい。(文責:佐野泰道)