申命記14章1〜29節

「手のわざを祝福される主」

 

 申命記14章では、「食べて良いもの、食べてはいけないもの」が区別される。私たちには馴染みのない食べ物も多いが、当時はよく知られた美味なものだったのだろう。他の民族の人たちが食べているのを見ても、イスラエルの民は手を出さなかった。それどころか、イスラエルの民は収穫物の1/10と牛・羊の初子を主にささげた。生活の中で主に従うことを通して、神様はイスラエルの民に「主を恐れる」ことを学ぶようにされた(23)

 「主を恐れる」とは、自分は自分の力で生きているのではなく、主に生かされているということを身に染みてわかることである(8:3)。しかし私たちは、これがなかなかわからない。私たちは罪の性質を持っている以上、主に反抗することを止めることはできない。困ったときには神様に助けを求めても、それを越えれば自分の力で・自分の道を生きようとする者である。そんな私たちが、神様のおかげで生かされていることを身に染みてわかるようになるには、主の忍耐と取り扱いが必要である。

 「あなたは主の子ども」「主の聖なる民」「宝の民」…神様は、私たちの存在を肯定し宝のように喜んでくださる。このような神様の思いが、本当に自分のこととしてわかるようになるには、ただひとつの道しかない。それは、みことばに従い・主を恐れる道である。生活の中で主に従うことを通して、自分が神様に喜ばれる存在とされていることを覚えたい。

 

 「あなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである。…あなたの神、主の聖なる民である。主は、…あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」(12)