申命記30章1〜20節

「みことばは近くにある」

 

 申命記30章では、やり直しの道について語られる。神さまに背き続けた結果、全てを失ってしまった時のことを想定している。イスラエルの民がこれからカナンに入ろうとしている時、これからチャレンジしようとする段階である。失敗した後のことを語るには、時期尚早だと思うかもしれない。しかし神さまは、どんな人にも・いつでも、やり直しの道を残していてくださる。私たちは神さまによって、死からいのちに戻る道を辿ることができる。

 では、どうすれば、やり直すことができるのか。それは「御声に聞き従う」ことを通してである(2)。ルカ15章に登場する弟息子は、父親の財産を持ち出して放蕩した結果、全てを失った。そこで我に返り、父の家で使用人にしてもらおうと思い立った。一方、父親は弟息子の帰りを待ち続けていた。それで弟息子を見るやいなや、走り寄って迎え、抱きしめて、すべてを包んで赦した。このように神は、私たちが我に返って神のもとに戻ってくるのを待ち続けているお方である。そして戻ってくる者を大きく包み込んで、すべてを赦してくださる。だからこそ、「御声に聞き従う」ことでやり直すことができ、いのちの道に回復されるのである。

 同じルカ15章に、1匹の失われた羊を探し歩く羊飼いの話がある。迷い出た羊は、自力で戻れない。羊飼いは、その羊を追ってどこまでも出かける。見つけるまで探し続ける。羊飼いはついに、その羊を見つけ、救い出し、肩にかついで家に連れ帰る。このように神は、私たちのことを探し続けていてくださるお方である。神さまご自身が私を見つけ、救い出してくださる。だから、こんな私でも「御声に聞き従う」ことができるようにされる。

 神さまは赦すために待ち続けるお方であり、同時にどこまでも探し続けるお方である。それ故、「みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にある」と言われる(14)。口でイエスを主と告白し、心でイエスを信じるなら、あなたは救われる(ロマ10:9)。神は今も、やり直しの道に招いておられる。

 

 

「私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」(19