申命記9章1〜6節

「うなじのこわい民」

 

 「うなじのこわい」とは馬やロバが手綱に逆らって抵抗する様子である。モーセは人々の心にくさびを打ち込むように、自分たちが「うなじのこわい民である」ことを認識させようとする(6)。「あなたは荒野で、どんなにあなたの神、主を怒らせたかを覚えていなさい。」(7) 特に記憶されるべきこととして、シナイ山で金の子牛の像を造って礼拝した事件を語る(8~22)。そしてタブエラ、マサ、キブロテ・ハタアワにおいて食物や飲水のことで主に逆らった事件(22)、カデシュ・バルネアでカナンの先住民に殺されると言い張って主に心を閉ざした事件(23)を思い起こさせる。

 モーセの説教を聞いている聴衆は、荒野で成長した世代である。彼らは不信仰だった父たちの世代とは違い、父たちが恐れたカナンの先住民に立ち向かおうとしている。モーセはその心意気を知り、「あなたの神、主ご自身が、焼き尽くす火として、あなたの前に進まれ、主が彼らを根絶やしにされる」と励ましを語る(3)

 その上でモーセは、カナンで勝利を収めた時に「あなたは心の中で、『私が正しいから、主が私にこの地を得させてくださったのだ』と言ってはならない」と語り、人々に釘を刺している。この言葉は、民に対する深い洞察から発せられている。戦う前は恐れや不安から、神にすがる気持ちも強くなる。しかし勝利を得ると、人はホッとする。安心するのは悪いことではないが、気持ちが切り替わってしまい、神さまを求めなくなってしまう。このように、人は祝福を得ることで神さまを必要としなくなることがある。

 人は神から良い結果や祝福を求めようとする。しかし神さまは結果や祝福を通して、私たちが神を信じる心を強くしたいと願っておられる。神さまが人に受け取って欲しいものは、祝福や結果でなく、神さまとの関係である。神さまを知っていることこそ、神さまからの最大の宝物であり、私たちにとって真の希望、平安、勇気、力である。

 

 

「あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出されたとき、あなたは心の中で、『私が正しいから、主が私にこの地を得させてくださったのだ』と言ってはならない。」(4