第一コリント15章12〜20節、58節

「主の祝福の受け渡し手」

日下健一師(和泉福音教会 牧師)

ー池田牧師をおぼえての礼拝ー


 「キリストは、聖書の示すとおりに私(たち)のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」(15:3,4)

 復活までを含む福音の全体を心から信じるなら、そしてそこから離れることがないなら、福音によって救われます(2)。福音を信じる者は、その際立ったすばらしさの故に、自分が神様のために用いられたいと願う人生を望みます。

 池田牧師は、キリストの愛を受け、その愛の受け渡し手となって仕える生涯を送りました。霞ヶ関キリスト教会の皆さんの信仰生活を支え、守り導き、この地域に福音を伝えていくものでした。池田牧師のみならず、教会のお一人おひとりも、主の愛の受け渡し手として、仕えて来ました。

 これまでに、主の前になされたすべてのことは、主に覚えられています(58)。その中には、実を結ばなかったものもあるかも知れません。しかし、決してむだではないのです。

 御国で主に喜ばれることを待ち望みつつ、これからは佐野牧師ご夫妻と共に福音の恵みと祝福を受け渡して行くのです。

 

【聖書】58節「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」