テサロニケ人への手紙第一2章1〜12節

「神がそのことの証人です」


 テサロニケ教会には、激しい迫害がありました。迫害者たちは、指導者であるパウロの悪口を言い広めていたようです。信徒たちはパウロと深く結びついていましたから、もし彼らがパウロに失望すれば、信仰を捨てるのではないかと考えたのでしょう。その悪口は、パウロは「迷いや不純な心」で人をだましている(3)とか、お金をむさぼる下心をもっている(5)、などでした。

 パウロは弁明します。「兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。」(9) この「労苦と苦闘」とは、革職人として「昼も夜も働きながら」伝道したことです。それは肉体的にも精神的にも疲れ果て、ストレスの多い生活でした。パウロが敢えてそのように働いたのは、自分が下心をもっていないことを証明するためでした。パウロは決して自分を喜ばせることはしませんでした。

 テサロニケの信徒たちも、パウロが自分を喜ばせず、しかし福音を喜んで生きようとしていたことを知っていました。それはパウロが、自分の「労苦と苦闘」を信徒たちに話して聞かせ、祈ってもらっていたからです。

 自分を喜ばせる利己的な生き方から離れ、福音を喜んで生きようとすると、人々との関わりから生じる様々な重荷を背負うことになるでしょう。しかしその重荷は、一人で背負うものではありません。話を聞いて共に祈ってくれる、主にある同伴者が必要です。そういうイエスを囲む交わりにおいてこそ、福音を喜んで生きる道は拓かれるのです。

 

「私たちは…人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。」(4節)