ヨハネの手紙第一3章4〜10節

「神から生まれた者は」


 罪とは不法である(4)。不法侵入や不法投棄のように、この世の法を犯すと罪に処せられます。「罪」の場合、この世の法ではなく神の法が基準です。たとえば、十戒を守らない者は、神の前に不法を犯していることになります。「すべての人は、罪を犯した」(ローマ3:23)とある通りです。

 神は、私たちの罪を取り除くために、イエスを遣わされました。イエスは私の身代わりとなり、私の罪のために神の法において罰せられました。イエスを信じる者は救われます。私たちは罪から自由になることはできませんが、「事実、いま」イエスによって神の子どもとされています(3:1)

 しかしヨハネは、「神の子どもと悪魔の子どもの区別」があると語ります。イエスにとどまり続ける者は罪を犯し続けることはなく、反対に、罪を犯す者は「悪魔から出た者」とされます(8)。ここでヨハネは、私たちをシロかクロか、ふるいにかけているのではありません。むしろ、私たちがイエスにあってシロとされている現実を訴えているのです。

 ある時、臨終の床にある方を見舞いました。「みことばを読みましょう」と言いますと、直ちに暗唱して言われました。「主は私に関わるすべてのことを、成し遂げてくださいます。」(詩篇138:8) 病の中にあっても、神は今、生きて働いておられました。神は、「今ここに」おられます。私たちも神の子として生き、神の恵みを「今ここに」示しましょう。

 

【聖書】9節「だれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。」