箴言13章1〜25節

「正しい者と悪い者」

 

 誰にとっても「訓戒に従う」ことは容易なことではない。責任を任され、自分で決断している大人になっているのに、親に戒められる。会社の上司ならまだしも、親から受ける訓戒ほど聞きにくいものはないだろう。

 箴言は「父の訓戒」(1)としているが、「父」でも「母」でもよい。これは「聞きにくい人からの訓戒」ということであろう。そういう人から訓戒を受ける時、私たちは拒否したり、言い訳したり、否定したくなる。逆上してしまうかも知れない。しかし、そうやって「叱責を聞かない」者は「あざける者」である、と箴言は教えている。相手が誰であれ、人の言葉を十分に聞かないでそれを退けるのは、神様ご自身を退ける罪に通じている。

 心に留めておきたいのは、「聞きにくい人からの訓戒」の中に、神様が私たちに語っておられるメッセージがあるということであろう。それはその人を通してでなければ気づかないことであったり、自分の問題の核心を突いていたりする。そういう言葉を受け止めるのは、居心地が悪い。しかしそれに耐えつつ、時間をかけながら、心に湧いてくる怒りを神様に沈めていただく。すると、自分が直面しなければならない課題を発見することができる。

 ストレスの多い現代社会である。理不尽な言葉を投げつけてくる人がいる。ある場合にはその人と距離を置くことも必要になるだろう。しかし“人の言葉の聞き方”という点で、思いがけない人を通して神様からの語りかけがあることを心に留めておきたい。

 主を恐れている人は、聞き方だけでなく、言葉遣いにも注意する(3)。誰にとっても言葉のコントロールは課題であるが、言葉遣いにおいて主を恐れる人は、主を恐れる生き方をするようになる(6)。言葉の舵取りは、人生の舵取りなのである。神様を恐れ、神様の御前で生かされていることを覚えて慎重になる時、結果的に言葉の失敗から守られる。悔い改めつつ、神様を恐れて歩もう。

 

「知恵のある子は父の訓戒に従い、あざける者は叱責を聞かない。」(1