エレミヤ書29章10〜14節

「先に入っておられる主」

 

  教会創立記念礼拝であるが、能登半島地震で被災した教会を訪問した報告をまじえながら、みことばに耳を傾けたい。

 

 このみことばは、バビロン捕囚が行われていく過程において、神が預言者エレミヤに語った言葉である。当時、イスラエルはバビロン帝国によって大きな痛手を負っていたものの、エルサレム神殿は残っており、人々は神による逆転勝利を期待していた。偽預言者たちはこぞって、イスラエルの勝利とバビロン帝国の撤退を語っていた(28:2,3)。しかし神は人々の期待に反することを命じられた。バビロン帝国の手に陥り、バビロンで落ち着いた生活をせよ、と。しかしその先に、「あなたがたのために立てている計画」があること、その計画は「わざわいではなくて、平安を与え」、「将来と希望を与えるためのものだ」と言われる。「70年の満ちるころ」、神はイスラエルを帰らせると約束された。

 

 能登半島地震で被災した教会を訪問した。そこで強く思わされたことは、“神はここで何かを成そうとしておられる”ということだった。その“何か”はわからない。しかし神は、私たちに先んじてあの地に入っておられると思わされたのである。

 

 能登半島に向かう玄関口に、内灘聖書教会がある。この教会の存在は、今回の支援活動に大きな意味を持っていると思わされた。今でも教会の一室が「能登ヘルプ」の事務局となり、ボランティアチームの拠点として用いられている。

 

 また、輪島や門前などの各地では、そこで働く牧師や宣教師たちが用いられている。彼らが、長年に渡るつながりを通してその地域で被災された人々の必要を聞き出し、そこに能登ヘルプを通じてボランティアチームが派遣されている。そこに・そのような人が配置されていたということにおいて、神の備えを実感させられた。

 

 被災地の現実は厳しい。しかし、神が先に入っておられ、何かをなそうとしている。そう信じるからこそ、私たちは支援の働きのために関心を持ち続け、祈り、協力する者でありたい。神は私たちと共にいてくださるお方である。