詩篇138篇1〜8節

「私のすべてをしてくださる主」

 

 この詩篇は、バビロン捕囚後に作られたとされる。イスラエルはバビロンとの戦いに敗れ、数十年の間、バビロンに移住させられていた。イスラエルの人々にとって、エルサレムに帰ることは積年の望みだった。奇跡的に道が開かれ、エルサレムに戻った人々は「心を尽くしてあなたに感謝します」と神を賛美した(1)

 

 「私はあなたの聖なる宮に向かってひれ伏し」とあるが(2)、作者が見ていたのは、新しく建て直された神殿だったのだろうか。いや、建設途中で工事が中断された神殿の可能性もある。というのは神殿再建には妨害やデマによって工事が中断され、着工から完成まで約20年かかったからである。

 

 しかし作者は、工事が中断した神殿であっても「あなたの恵みとまことを、あなたの御名に感謝します」と感謝している(2)。それは「私が呼んだその日に、あなたは私に答え」(3)とあるように、神が祈りに答えてくださったからである。

 

 ただし神は、“自分が祈った通り”に答えてくださったのではなかった。エルサレムに帰ることを祈っても、数十年も待たなければならなかった。しかし神は「私のたましいに力を与えて強くされました。」(3) すなわち神が私を強め、その日を生きるようにしてくださったということである。願いがすぐに叶わなくても、今日を生きることができたことで、“神は祈りに答えてくださった”と受け止めたのである。いろいろあるが、今日を生きることができたということ。これは神の恵みである。

 

 エルサレム帰還は奇跡的な出来事だったが、神はそうなることをみことばで約束しておられた。ここから「神は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます」(8)と、これからのことについても、神が約束の通りにしてくださると信じることができる。神は「私にかかわるすべてのこと」、すなわち私たちの救いも・私たちが気にかけていることも、すべてのことを成し遂げてくださると約束してくださった。神は私たちをあきらめたり、途中で見放すお方ではない。神は今も私たちに、救いのわざを成していてくださる。神の完成を信じ、神を信頼しよう。