詩篇27篇1〜14節

「待ち望め。主を。」

イースター礼拝


 「主は、私の光、私の救い」(1)。敵に囲まれるような非常に厳しい状況であっても(2,3)、主が「私のいのちのとりで」であるから(1)、「私の心は恐れない」との告白です(3)

 詩の作者は、自分の第一の願いとして「私のいのちの日の限り、主の家に住むこと」を求めます(4)。すなわち、いのちが与えられる限り、主を近くに感じ、主のすばらしさを味わい尽くすことを願いました。なぜなら主は、「悩みの日」にも「私をかくまい」、不安と怖れでうつむいている私を強め、「岩の上に私を上げて」くださるからです(5)

 私たちの「いのちの日」には、それぞれの戦いがあります。そこには様々な痛みがあり、耐え忍ばなければならないこともあります。しかしイエス・キリストにあって、私たちの忍耐は、身体を伴う復活において、豊かに報いられると信じます。イースターの朝、復活されたイエスの身体に、十字架の傷跡がありました。同様に、私たちの労苦もまた、「主にあってむだでない」のです(Ⅰコリント15:58)。

 作者は、厳しい現実の中で、主に叫びます。同時に「わたしの顔(神の御顔)を、慕い求めよ」と自分自身を奮い立たせます(8)。そこには主に対する揺るがない信頼があります。

 主の約束は、確かです。自分の父・母に見捨てられるとしても、「主が私を取り上げて」くださいます(10)。仮にこの地上で「主のいつくしみを見ることが信じられなかった」としても(13)、主を待つことには意味があります(14)。それは、イエスが死を打ち破られ、今も生きておられるからです。

 

【聖書】14節「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」