詩篇83篇1〜18節

「戦う神」

 

 「神よ。沈黙を続けないでください」と作者はうめくように語り始める(1)。自分ではどうにもならない困難にじっと耐えながら、神が介入してくださるのを待っている。

 

 作者の思いは、イスラエルの過去へと導かれる。これまでにどれだけの国や民族がイスラエルに敵対し、「イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう」と立ち向かって来たか(4)。エドムやイシュマエル人といった創世記に起源を持つ民からペリシテ人、アマレク人、アッシリア帝国までを見渡す。そして神が幾度となく、イスラエルのために戦ってくださったことを思い起こす。

 

 「イスラエル」という名は、“神が戦う”という意味を持つ。この名前には、“神が私たちのために戦ってくださる”という約束が含まれている。作者は今まさに、神が自分たちを救うために戦い、大いなる力を発揮して、勝利を与えてくださることを願っている。

 

 その勝利の事例として、作者は勇者ギデオンがミデヤン人と戦った時のことを挙げる(11)。神はわずか300人の兵でミデヤンに勝たせてくださった。神が戦ってくださったのである。

 

 しかし作者の祈りは、意外な方向に進む。「主よ。彼らがあなたの御名を慕い求めるようにしてください。」(16)私たちなら、ギデオンのような勝利を望むのではないか。作者のように“敵が神を慕い求めるようになること”を本気で願えるだろうか。

 

 私たちは自分中心で物事を考え、自分の願いを優先してしまう。しかし神が願っておられることは、私たちには理解できないほど広く深い。神は旧約聖書において圧倒的な勝利によってその御力を示されたが、新約聖書においては想像を超える愛によってその御力を示された。その愛によって、ひとり子イエス・キリストを遣わし、私たちを神の子として受け入れてくださった。そして終わりの時、すべての口が「イエス・キリストは主です」と告白することが神のご計画である(ピリピ2:11)。ここに神の戦いがある。

 

 終わりの時、私たちは個人的な好き嫌いや、恨みごとから聖められ、神の圧倒的な愛と赦しによって、感謝と喜びのうちに「イエス・キリストは主です」と告白する者とされる。ハレルヤ。