詩篇87篇1〜7節

「聖なる山 神の都」

 

 詩人はエルサレムを「聖なる山」「神の都」とほめたたえる。それは、ソロモン王の建てた豪華絢爛な神殿の故ではない。この詩が歌われたのは、バビロン捕囚の後の時代と推測される。その時すでに神殿は破壊され、エルサレムの町は焼かれていた。詩人はなぜ、廃墟となったエルサレムを「聖なる山」「神の都」と讃えたのか。

 詩人は目に見える破壊された町の現状を見ていない。むしろ、神様がエルサレムに恵みを注いでくださり、町を復興してくださることを信じて語る。「主は聖なる山に基を置かれる。主は、…シオンのもろもろの門を愛される。」(1,2)神様はエルサレムを愛してくださり、再建のために土台を据えてくださる。今は廃墟であっても、神様がやがて建て直してくださる。その故に、詩人はエルサレムを「神の都」と呼ぶ。

 神様がエルサレムにしてくださるのと同じ恵みが、私たちにも与えられる。信仰と縁のなかった人が、主イエスを信じるようになる。それは、神様がその人生に「基を置かれる」出来事である。神様は今、私たちに目を留め、私たちを愛して、私たちの人生を建て直すべく働いていてくださる。

 主イエスを信じる恵みを受けた者は、人を愛する者とされる。神様によって万物が新しくなる時、「ラハブ(エジプト)」「バビロン」「ペリシテ」といったエルサレムを苦しめた敵たちが「わたしを知っている(神様を信じる)者の数」に入れられる。それは、地上では敵対した人が、神の家族に加えられると言うのである。すなわちその日には、神様は私たちを造り替え、地上で分かり合えなかった人や争ってしまう人たちであっても、心から愛せるようにしてくださるという約束である。それが、私たちに与えられている「すばらしいこと」である。神様の約束を信じて待ち望もう。

 

「神の都よ。あなたについては、すばらしいことが語られている。」(4