黙示録15章1〜8節

「最後の7つの災害」

 

 ヨハネは7人の御使いが、「神の怒りの満ちた7つの金の鉢」を手にしているのを見た(7)15章はその準備段階が描かれ、16章ではこの鉢が天から地に向けてぶちまけられ、神の聖なる裁きがなされることになる。ヨハネではそこで、ガラスの海のほとりに大勢の人々が立ち、神を賛美している光景を見る。

 ガラスの海とは、4:6に「御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった」とあるように主の御座の前である。透明で海のように見える広大な空間があり、そこに「火」が混じっていた。これはイスラエルの民をエジプト軍から救い出すために、海を分けて通らせた出エジプト記の奇跡を思い起こさせる。エジプト軍が海の中まで追って来た時、神様は火の柱によってその行く手を阻まれた。海の中に火が混じる光景がそこにあった。

 ガラスの海のほとりで賛美している人々は、主を信じて死を迎えた人々であった。地上では「竜」である悪魔、「海からの獣」である政治的な力、「地からの獣」であるマスコミ的な力が三つ巴になって教会を迫害していた。しかし、すでに「竜」は天において打ち破られていた。「こうしてこの巨大な竜、すなわち悪魔とかサタンとか呼ばれて全世界を惑わすあの古い蛇は投げ落とされた。」(12:9) この時代は“すでに天において悪魔が敗北した時代”である。どんなに悪魔が手を伸ばして迫害しようとも、悪魔の敗北は確定しており、天に帰った者たちは勝利の賛美を歌うのである。

 ガラスの海のほとりに立ち、勝利の賛美を歌う者たち。この中に、先に天に帰った人たちがいる。主イエスの勝利を喜ぶその大群衆の中に加えられると、喜びが満ち歌が溢れる。

 そこにいるのは「すべての国々の民」である(4)。つまり誰もが、主イエスを信じて、天における主の勝利に加わるよう招かれている。この勝利は悪魔に対する勝利であり、死に対する勝利である。この勝利のゆえに、私たちは礼拝で歌うのである。

 

「私は、火の混じったガラスの海のようなものを見た。獣とその像とその名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。」(2