ヨハネの黙示録2章1〜7節

「初めの愛」

 

 エペソの教会に宛てられた、主イエスからの手紙である。主イエスは「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている」と言われる(2)。エペソはアルテミス神殿のお膝元であり、開拓当初から信仰の戦いが激しい場所であった。その中でも教会は主イエスを宣べ伝え、異端的な教えを説く偽教師たちから信仰を守り、約40年の歩みをすることができた。

 

 人は結果に目を留め、結果を評価しがちであるが、主イエスは「労苦と忍耐」という途中経過に目を留めてくださる。主イエスは教会に集う者たちの様々な戦いを知っていてくださり、“よくがんばって来た”とその労をねぎらい、称賛してくださる。

 

 主イエスは、私たちの「労苦と忍耐」も見ていてくださる。私たちにも様々な労苦がある。礼拝に集うために戦いがある。信仰を守り続けるのに忍耐が求められる。主イエスは、私たちの隠れた労苦と忍耐を知り、“よくがんばっている”と見てくださる。

 

 主イエスには、エペソの教会に気付いてもらいたいことがあった。それは「初めの愛から離れてしまった」ということである(4)。エペソの教会には、主イエスが悲しまれるような出来事があったのだろう。詳細は不明である。主イエスは、“あなたはよくやっているが、あなたの愛を感じられなくなっている”と忠告した。

 

 「それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。」(5)「初めの行い」とは、神の愛に気づくことである。主イエスは「右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方」として(1)、教会をその御手の中で守り、教会に愛を注いでくださっている。だからこそ主イエスはエペソの教会の労苦と忍耐を知っていてくださったのであり、教会は40年の歩みをすることができたのである。

 

 私たちは、神の愛を知ることを求める求道者でありたい。神の愛を知ることは、私たちにとって最も価値のあることである。使徒パウロはエペソの教会にこう書き送っている。「あなたがたがキリストの無限の愛を知って、キリストの愛といのちに満たされますように。」(エペソ3:19、リビングバイブル訳)