黙示録8章1〜13節

「ラッパを持つ7人の御使い」

 

 「小羊が第7の封印を解いたとき」(1)。小羊とは主イエスのことである。主イエスは「御座におられる方」から1つの巻物を受け取る(5:7)。巻物には7つの封印があり、すべての封印が解かれた後、ヨハネの手に渡される(10:8)。ヨハネはその巻物を食べ、その内容は11113節に記されている。

 第7の封印が解かれると、災いを告げる7つのラッパが登場した。私たちは、これらの封印やラッパが引き起こす現象から、どんなメッセージを受け取ることができるだろう。こういう言葉を読む時には、“距離感”に気をつけなければならない。たとえば、第2のラッパの時には「火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた」とある(8)。当時の人々はこの言葉を読んだ時、十数年前にポンペイを壊滅させたヴェスヴィオ火山の大噴火を思い起こしたかもしれない。しかしこれ以上、黙示の言葉を“現実に引き寄せて”読むのは危険である。時代に合わせようとするあまり、聖書の言葉をこじつけて解釈してしまうからである。

 反対に、“黙示録は難しく、ずっと先のことを語るのだから、わからないものだ”と、“自分から遠ざけて”読むこともしてはならない。黙示録はその場所・その時代を生きる人々が聴くべき神からの手紙である。私たちは、黙示の言葉と今の時代が重なる点を受け止めつつ、“主の時は確実に近づいている”というメッセージを聴き取りたい。そして自分の信仰の姿勢を整えたい。

 さて第7の封印が解かれたところで、ひとりの御使いが現れ、金の香炉を持って祭壇のところに立った。その香は、すべての聖徒の祈りとともに神にささげられた(4)。これは、キリスト者の祈りが確実に神のもとに届いていることを示している。

 迫害の時代である。恐れのあまり「助けてください」と祈っただろう。大切な人を奪われて、怒りと悔しさに押しつぶされそうになりながら、主の名を呼んだ人がいただろう。殉教は綺麗事ではすまされない。生々しい叫びを伴う祈りがささげられた。主は、すべての祈りを受け止めてくださる。主を信じて死を迎えた人たちは、主にあって意味あるものとして数えられる。

 

「主の聖徒たちの死は、主の目に尊い。」(詩篇116:15)