第1サムエル17章20〜49節

「選ばれたダビデ」

 

 サウルの時代、ペリシテ人は大きな脅威だった。ある時ペリシテ軍はエフェス・ダミムまで侵略して来た。目の前の山脈を超えれば、王宮のあるギブアに達する。サウルは山を下ってペリシテ軍を迎え撃とうとした。ところが、ゴリヤテというペリシテの戦士が目の前に立ちはだかった。身長2m86cmの巨大な男である。ゴリヤテはイスラエル軍に11の代表戦を申し込んだが、イスラエルの中には立ち向かおうとする者がいなかった。

 ダビデは父から用事を言いつけられ、戦場に着いた時だった。いつものようにゴリヤテがイスラエル軍に戦いを挑み、ダビデはゴリヤテの語るのを聞いた。ダビデは「生ける神の陣をなぶるとは」と憤りに震えた。ダビデの義憤はイスラエル軍に広まり、ダビデは推薦されてゴリヤテと戦うことになった。

 ダビデは羊飼いとして、ライオンや熊を倒したと語る。ダビデがいかに戦いに長けていたかがわかる。ダビデは“ライオンに勝てた”という自信をあてにしたのだろうか。そうではない。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主」とあるように、羊飼いとなって自分を救い出してくださった神様を信頼したのである。

 ダビデは詩篇23篇を作ったことでも知られている。ダビデは羊飼いの仕事をしながら、自分が“羊飼いである神”に守られ養われていた。実際に戦いに出向くのは自分である。恐れも感じるだろう。しかし、神が共に戦ってくださり、その時の結果も神が与えてくださる。ダビデは、すべてを神に任せていた。

 神はダビデだったから、共に戦われたのだろうか。私たちの日常の様々な戦いには、共に戦ってくださらないのだろうか。いや、神は私たちの羊飼いであり、私たちと共に戦ってくださる。

 自分の内面の悪しき思いとの戦いがある。また教会はこれまで信仰を放棄させるこの世の圧力と対峙してきた。目の前にはコロナウィルスとの戦いがある。医療現場で奮闘している人、ストレスに悩む人にも、羊飼いである主が共に戦ってくださる。

 

 

「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」(37