テモテへの手紙 第一 5章1〜16節

「尊敬と愛情をもって」

 

 『テモテへの手紙』は牧会書簡と言われる。牧会とは、羊飼いが羊を養い導くように、神様が私たちを養い、助け・守り・導いてくださることである。神は、みことばを届けるために教会に牧師をお立てになった。そして私たちは、共にみことばを聴き、心を配り・祈り合うことで、互いに牧会し合う仲間とされている。

 

 テモテはエペソの牧師であった。パウロはテモテが牧師として勧めをなす際に、尊敬と愛情をもって接するように命じる。相手がどんなに歳を重ねて弱っていても、どんなに未熟であっても、尊敬と愛情をもって向き合う。これは福音が教える姿勢である。

 

 教会には多くのやもめがいたようであるが、“教会が支援すべきやもめ”を選ぶように命じる。“すべてのやもめを分け隔てなく支援するのが愛である”という考えもあるだろう。しかし支援の現場では、“これ以上はしたくてもできない”という現実がある。パウロはそのような現実を見極めながら語っている。

 

 支援すべきやもめは、家族親族といった支援者がいない人で、昼夜となく祈りをささげ、これまで落ち着いた生活をしてきた人であることが求められる。家族や親族に支援者がいる場合、教会の支援を当てにせず、自分たちで恩に報いるよう教育せよと言われる。教会は献金だけでまかなわれており、限界がある。可能な人には協力してもらうように、ということである。

 

 教会につまずきを起こさせるケースは断りなさい、とパウロは命じる。自堕落な生活をしている者や、若いやもめは断る。献金する人、支援を受ける人、支援を受けない人、すべての人が神様に感謝して喜べるように、すべての人に牧会的な配慮をして、不用意につまずきが起きないように、と命じている。

 

 私たちは心の奥底で、自分を“偉い者”だと思ってしまう。だから自分から“私は弱くて”と言えても、人から“弱虫”と言われたら頭にくる。しかし自分を“偉い者”と思うところがあるから、言葉や態度で人をつまずかせる。私たちは、弟子の足を洗われた主イエスに倣い、尊敬と愛情をもって人に接しよう。そして、ますます互いに牧会し合う仲間とさせていただきたい。