第1列王記11章1〜13節

「ソロモンの落とし穴」

 

 ソロモンは周辺諸国との和平と貿易協定を結ぶために、相手国から妻を迎えた。すでに3章に「ソロモンはエジプトの王パロと互いに縁を結び、パロの娘をめとって」(3:1)とあるが、ついに「七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめ」に膨れ上がった(3)

 「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けた」とある(4)。具体的には、アシュタロテやモレクという神々を礼拝するために礼拝所を作り、それらの神々を信仰することを許可したということであろう。ソロモン自身が拝んだかどうかは定かではない。しかし神は、これらをソロモンの罪として「ソロモンに怒りを発せられた」とある(9)。「主は二度も彼に現れ」警告なさったが、ソロモンは主に従おうとしなかった。

 そのようなソロモンの様子を、聖書は「愛した」と語る(1)。愛は人に幸せをもたらすが、時に自分を狂わせ、大切なものを見失わせる。主はソロモンに王国を引き裂くと警告するが、それでもソロモンは罪を「愛した」のである。

 これには舞台裏がある。2節に引用されているみことばをたどると、出エジプト記23:32,33に行き着く。イスラエルの民がシナイの荒野にいる時代、主はイスラエルの民に他民族との婚姻関係に注意するよう命じておられた。その約束の中で、主はイスラエルの領土を次第に広げ、ついにはエジプトとの国境からユーフラテス川に至ると約束しておられる(出23:29-31)。

 実にこの領土は、ソロモンの時代になって実現に至った。ソロモン時代の大帝国はダビデの献身とソロモンの知恵によるところが大きいとは言え、神が長年に渡って造られた作品であった。そのような栄光の帝国を、ソロモンは引き裂いてしまう。しかし主は、罪の懲らしめを「永久に続けはしない」と言われた(39)。ソロモンが引き裂いたものを結び直し、将来に救いと祝福を備えるために働いてくださるのである。

 私たちにおいても主イエスとの出会い、人との出会い、教会の存在など、どれも主が紡いで来られた歴史的な重みがある。この重みを大切にし、さらに私たちも主と共に恵みの歴史を紡ぎたい。