第2サムエル記7章1〜29節

「約束を待つ者」

 

 ダビデはイスラエルの王になり、エルサレムに都を構えた。神の箱を迎え入れ、ペリシテ人との戦いも落ち着いていた。ダビデは神が安息をくださっていることに感謝した。その時、自分には家があるのに、神の箱が天幕に置かれていることが気になった。そこで預言者ナタンに、神殿建設について相談した。ナタンはダビデの提案に太鼓判を押すが、その夜、神からの言葉があった。

 神はダビデの気持ちを受け止めつつ、“神の家を建てるのは誰なのか”と語られた。昔も今も、神は何かの建物を神の住まいとせず、“神を信じる人々”を住まいとしてイスラエルの民と共に歩んで来られた。アブラハムを選んで導かれた。出エジプトをしてカナンに住まわせた。ダビデをイスラエルの王に任命し、エルサレムを都にした。すべてが神ご自身のご計画と御業であった。神ご自身が“神を信じる人々”を導き・育んで来られたのであった。

 イスラエルの民を、今日における“教会”と重ねて見たい。「主はあなたのために1つの家を造る」(11)とあるように、神ご自身が教会(=神を信じる人々)という神の家を造てられる。神は教会を愛し、教会を守り養い、今も教会と共に歩んでおられる。そして「わたしは…彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て」(12,13)とある通り、“神ご自身による神の民の建設”の中に、今日の会堂建設が位置付けられる。

 霞ヶ関キリスト教会は、1968年に開拓伝道が開始された。メックマン宣教師と小林師を通して、信仰を持つ人々が起こされ、転居したキリスト者が加わり、神の民としての教会が形成された。そのような中、教会堂を購入・増築した。1993年には池田師のもと、現在の会堂を献堂した。過去を振り返ると、神の約束が真実であることがよくわかる。私たちの教会もまた、神ご自身がお造りくださった教会なのである。それ故に、こう信じることができる。これからも、神の約束と真実に支えられ、教会(神を信じる人々の群れ)は祝福される、と。

 

 

「今、どうぞあなたのしもべの家を祝福して、とこしえに御前に続くようにしてください。」(29