第2テサロニケ人への手紙2章1〜3節

「主のみもとに集められる日」

 

 パウロがテサロニケ教会に送った2通目の手紙である。パウロは1通目の手紙で「主の日」について触れたが、教会で主の日のことで混乱している者たちがいることを受け、すぐにこの手紙を書き送った。パウロが教会を大切に思う気持ちが伝わってくる。

 主の日とは、世の終わりに関することである。「主イエス・キリストが再び来られる」時、これまでの天と地は過ぎ去り新しい天と地が到来する。「主のみもとに集められる」者たちは、新しい身体と永遠のいのちをいただき、主イエスと共に喜びの世界に招かれる。そのように天の御国が到来する時を「主の日」を呼ぶ。

 テサロニケ教会には「主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて」、自分たちが天の御国から漏れ落ちたと誤解し、落ち着きを失い・心を騒がせていた人たちがいた。神様は、主の日について私たちがいたずらに恐れ惑い・動揺することを喜ばれない。主の日の約束は、“希望”として与えられているのである。

 「落ち着きを失う」(2)とは、船が錨をおろさないために波に翻弄される姿を語る。船が錨をおろすように、私たちはみことばに結びつかなければならない。パウロは「兄弟たち。堅く立って」みことばを守りなさいと語る(15)。神様は私たちが信ずべき約束として、聖書66巻を与えておられる。これは歴史を通して示された神のことばであって、これに言葉を足すことも・これから言葉を引くことも許してはならない。みことばを信頼し、みことばを学ぶと、みことばに励まされ、みことばに生かされる喜びを味わう。こうして、みことばに堅く立つことができる。

 パウロは、主の日の前に「背教」や「不法の人」が現れると語るが、これらの具体的なことは私たちに隠されている。しかしすべては神様の主権によってコントロールされている。神様の時が満ちると不法の人は現れ、しばらくの活動した後に、神様の「御口の息」によって滅ぼされる。私たちはみことばに堅く立つことによって、主の日を穏やかに待ち望むことができるのである。

 

「そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。」(15